阿瀬という家名について


阿瀬家家紋「隅切角月星軍配団扇紋」

阿瀬家家紋「隅切角月星軍配団扇紋



上記に示したのは「阿瀬家」の家紋となります。

これは下記に示す三つの家紋の特徴をそれぞれ組み合わせた家紋となっております。歴史建造物・遺跡などに示される根拠から、阿瀬家の由来を考察していきます。



千葉氏 家紋「月星」

千葉氏 家紋「月星

児玉氏 家紋「軍配団扇」

児玉氏 家紋「軍配団扇

宇山氏などに見られる「隅切角」

宇山氏などに見られる「隅切角

祭神广神天皇崩ずるに七味叢誌及び口碑によれば元亀四年(1573) 発酉五月江州佐々木庶流阿瀬石見の守源重家夫婦落来り味取村に居住せしが重家強勇にして仁心なる侍にて村民常に尊敬し天正八年(1580)辰六月下旬羽柴筑前公鳥取征伐として発向せられし時美含境迄出迎ひ森脇氏と両人案内者となり賊徒の乱慕を防ぎ谷中を警固し因洲鳥取迄送り参らせ帰村せしがは天正九年(1581)巳十一月長須村より下高二百余りを賜りしも谷中乱れたる後にて支配する能はず慶長九年(1604)正月本郡総て山名公の領地となる天正十年(1605)巳五月両人共高地は悉皆山名公に献上す原野山林は其の儘以前の通り支配たるべく旨仰渡被る

十九年天正(1614)甲寅十月重家病死す当村長百姓山居六右衛門巳が所有地に葬り村民譲し尊崇して重家の霊を祀り八幡宮と称し後年に至り應神天皇を祭神とす六右衛門家政疲弊するに及び村の共有とす今に山居米三郎宅の裏に大五輪墓あり

村に阿瀬石見の守源重家と云うものあり先は江洲蒲生郡八幡山城主佐々木六角修理大夫義秀の家老にして佐々木の庶流なり元亀四年酉五月に至り主家も不振故有て但洲に来たり味取村に流宮し繁盛たりしか天正八年辰六月羽柴築洲公美含郡よい七味に入り射添強盗小代一揆退治の為に鳥取制服として御通行に付き重家忠良両人矢迄出迎え強盗の謀をくじき鳥取供奉じ此渡の功に高地を山名禅高(豊国1548~1626.10.7)公に奉納し山林を所有し富裕たるを以って村民を哀れみ公共に尽くす枚挙に遑(いとま)あらず慶長十九年寅十月卒村民尊敬して八幡宮と祀る其の子新右衛門重高資産あるを以って山を舎弟阿瀬源右衛門重次に與(あた)え分家とし字久津山に居らしむ重高元和元年(1615)卯十月大庄屋となり重高六代政右衛門重秋文化年中(1804~1818)


歴史的建造物・遺跡

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時系列