久津について

この地は重次に分家として与えた  この時代大変貴重な砂鉄を採取していた

砂鉄を採集最後の土は段々田んぼ、昔は田んぼの下に道があり田植えの後その道を歩くと田んぼから沢山の水が染み出して

歩いて上がるのに水のないところに足を運ぶのに大変悩みながら歩いた

   荒信神社として重次を祀る                    砂鉄から造られた 剣と槍                                                                         

                               祠は本家の長女が嫁いだ縁で北村工務店が建設

 

山を崩して土を2キロほど流して回り角など砂鉄の溜まる場所を造り採取

重次の神社祀られている剣と槍の鋳物
戦後21年頃は矢田川でも大きな石の水裏と言う所には黒い砂鉄が黒くかたまっていて小さな手の中にいっぱいスクイ取ることが出来、遊び仲間と小魚を取り遊んでいた今は今は見ることはない
山を崩した場所

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久津の谷 谷が開けたような所は山を崩し水を流運んだ運んだ